本日3月2日よりシャキット通常営業に戻りました~。落ち着いてみて、改めて数えてみたら5.5日間もレッスンを休んでしまっていました。皆様には多大なご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。兄は絵に描いたような「お騒がせ人生」だったのですが、まさかお騒がせっぷりがシャキットにまで波及してしまうとは・・・😅回数券のスタンプの取り消しと期限延長は随時対応させていただきますので、宜しくお願いいたします。
ということで、今回なぜこんなにもバタバタしてしまったのかを改めてご説明させていただきます。公人でも有名人でもありませんが、皆様にご迷惑をおかけしたので、「説明責任」があるかと思いまして・・・。淡々と書かせていただきますので、『火曜サスペンス劇場』でも見るような気分、もしくは自宅で人が亡くなるとこんなことがあるという雑学として読んでいただければと思います😅ただし経緯や死因を詳しく書きますので、苦手な方は絶対に読まないで下さいね。
自宅で人が亡くなるということが、こんなにも大変なのかということを今回初めて知りました。と言っても、亡くなった方がご高齢の方や病気をお持ちの方で、かかりつけ医がいればこんなことにはならないようですが。実際、私の祖父も90代で自宅で亡くなりましたが、何の問題もなく翌日には通夜ができましたので。
兄(普段は札幌在住です)は旭川の叔母(母の妹)の家で倒れました。叔母がトイレで倒れている兄を発見したのは、叔母と兄が最後の会話をしてから約30分後のことでした。駆けつけた救急隊員の方によって、心臓マッサージなどを受け、病院に搬送されましたが、搬送先で死亡が確認されたという流れです。
兄は母と一緒に旭川に行っていたのですが、兄が倒れた時、母は外出中でした。すぐに帰宅し、救命処置を受けている兄の様子を、母は柱の陰から見ていたそうです。この時点では、母はまさか兄がそのまま亡くなるなどと微塵も思っておらず、1週間くらいの入院で退院できるだろうと考えていたそうです。救急車に乗り込む時には、帰宅時に必要になるであろう兄の靴を持って救急車に乗り込んだと話していました。兄は倒れる3週間ほど前にたまたま健康診断を受けたのですが、「どこも異常なし、健康」という結果でした。また兄は車の運転が超絶下手くそで、2度も車を廃車にしたポンコツドライバーでした。その事故の時も本人はかすり傷ひとつ負わなかったので、私も母も「この人は死なない」とずっと思っていました😅思い込みがある時の「観察」って正確にはできないものなのですね。
一方の叔母は兄の様子を見て、「これはもうダメだろう」と思っていたらしく、「何をのんきに靴なんて・・・」と内心思っていたと葬儀後に話していました。ちなみに叔母は40代の時に、当時50歳だった夫が3人の子供を残して他界しているので、なかなか肝が据わった人です。
今にして考えれば、叔母が思っていた通り、兄はほぼ即死だったのではないかと私は勝手に思っています。病院で医師の判定が出なければ死亡は「確定」しませんが、救急隊員の方が来られた時点で手遅れの状態だったのではないかな~と・・・。母によれば、救急車の中でアドレナリンの注射(心停止の人に対して打つそうです)を2回打たれたそうなので。病院到着後、医師に死亡を告げられ、母はそれ以降、兄との接触は許されず、タクシーで帰宅となりました。「事件性の有無を調査するため遺体は警察署へと移動となる」と説明されたそうです。
ほどなくして叔母の家には5名の警察の方が来て、家中を写真に撮り、兄の所持品等々をチェックしていきました。病院から帰宅した母もいろいろと質問されたそうです。
兄が警察署に安置されていることは知っていましたが、窓越しにでも会えるのかと思っていた私は旭川に向かいました。「チラ見」も叶わないと知り、更には三連休中(2月23・24・25日)は死体検案も行われないため、いったんは札幌に戻りました。
三連休明けに再度、旭川に行ったのですが、ここからが長かった・・・いつ検案が終わるかがはっきりせず、検案終了の連絡をただひたすら待つのみなのです。これがシャキットを営業できるかできないかを決められなかった理由です。
幸い兄は倒れてから30分後には発見されているので、検案も数日で済みましたが、死後から日数が過ぎている場合には数週間以上かかったり、さらには地方都市では解明できず東京などに輸送となるケースすらあるそうです。
倒れてから丸1週間経ってようやく検案が終了しました。警察署に遺体を迎え行き、警察の方から所持品の確認や死因の説明があります。
死因は急性肺水腫となっていました。なぜ急性肺水腫を起こしたかは不明とのことでした。本来であれば、行政解剖をして急性肺水腫の原因を突き詰めるらしく、年齢的にも若く持病もないので、警察でも行政解剖を検討したそうです。ただ薬や洗剤などの毒物を飲んだ形跡がないことと、母が解剖をしないことを強く希望したため、その意向を汲んでくれました。(本来行政解剖は家族の同意は不要なのだそうですが。)私も解剖だけは避けたいと思っていたので、回避できたのはありがたいと思いました。
ということで、以上がバタバタしてしまった理由です。
ここからは私が自分の中で整理をつけるために書かせて下さい。兄は未婚で、父が他界してからは母と二人暮らしでした。若い頃から実に頼りない兄で、よく私が姉だと間違われてきました。仕事もしたりしなかったり・・・少し前には軽いADHDとASDがあると診断されました。
私は能天気な性格で、物事をあまり深く考えるタイプではないのですが、唯一考えると少し気が滅入るのが兄のことでした。どうしてこの人と兄妹なんだろうと思ったり、母がいなくなれば、当然私が兄の面倒をみることになるので、兄には長生きだけはしないでほしいとすら思っていました。そんな私の気持ちに転機が起こる出来事があったのです。
ある方に兄のことを愚痴ったんです。そしたらその人が笑いながら「パックツアーだよ。」と言ったんです。その人、ご自身では絶対そうは言わないんですが、たぶん「みえる、感じる」人なんです。一切話したことがないことでも、ズバリ言い当てたりするので。
「パックツアー」の意味が分からず、きょとんの私に、「あなたが選んだよ。立派な兄貴だったら、きっとあなたもあなたの息子も親に依存してダメになっていた。あなた自身が今回のツアー(人生)はこの人を兄にしようというパックを組んだんだよ。でも大丈夫だよ。兄貴のことを大きくみているかもしれないけど、あなたがパワーアップすれば、兄貴なんて米粒みたくなっちゃうんだから。兄貴をどうこうするんじゃなくて、あなたがパワーアップしなさい。」と言われたんです。
それを聞いた私は、一気に霧が晴れたような気分になり、「大丈夫だ!私に任せとけ!最後まで面倒みてやる!」と根拠のない自信が湧き、兄への不満・不安が吹き飛んだんです。
兄が倒れる5日前の出来事です。私の覚悟が定まったことに気づいたかのように、兄はパックツアーを終わらせてしまいました。兄の人生は悲喜こもごもというよりも、悲苦こもごもの大変な人生でした。死顔を見て、「〇〇(兄の名前)のこんな穏やかな顔を見たのは何年ぶりだろうね。」と伯母(母の姉)が言っていました。私とのパックツアーからようやく解放されてホッとしたのかもしれません。
皆様の周りにも「パックツアー」の参加者さんがいるのかもしれません。その参加者さんとは必ずしも良好な関係を築けていないかもしれません。嫌いな人、苦手な人、憎い人だからこそ、そこから何かを学び取るために、あえてパックツアーを組んだのかもしれません。
思い当たる方がいたら、パックツアーの参加者さんにたまには愛の言葉、感謝の言葉をかけてあげて下さい。私のような後悔を残さないで下さいね。
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D (日曜日, 03 3月 2024 09:23)
真木先生 お悔やみ申し上げます。
公人ではないのにこのようにご説明くださりありがとうございます。真木先生にどのように接すればよいのか戸惑っておりましたので真木先生のお気持ちや状況がわかり安堵致しました。
私には弟が2人おります。パックツアー大事にしていこうと思います。
シャキット真木 (日曜日, 03 3月 2024 10:13)
D様、お心遣いありがとうございます。
普通に接して下さい(笑)私はあの世の存在も生まれ変わりも信じている人間ですので、驚きはしましたが、悲嘆は全くしていません。今は私が今回の人生を終えて、あの世に戻った時の兄との再会を楽しみにしています。再会の際には、「パックツアーでお互いひどい目にあったね。」と笑い合いたいです。
弟さんがお二人ですか!納得・・・D様はいかにも「お姉さん」ですもんね。パックツアー楽しんで下さい!