死に方を考える

少々物騒なタイトルになっていますが、自殺の方法の話ではありません。昨日の午前中、日本尊厳死協会主催の講演会に参加してきたのですが、大変に勉強になったので、覚えている範囲内で書いていきたいと思います。今になってみれば、メモでもとっておけば良かったなぁと少々後悔・・・

 

この講演会の話者は、私のブログで何度かお名前を出させていただいている兵庫県尼崎市の長尾クリニック院長の長尾和宏先生です。長尾先生は日本尊厳死協会の副理事長でもあるそうなんです。

 

実は、上述の日本尊厳死協会主催の講演会は私にとっては「おまけ」だったのです。本当の目的は午後の部、長尾先生と宮沢孝幸先生(こちらも少し前のブログで著書を紹介させていただきました)のシンポジウム&ワクチン後遺症記録映像の上映会だったのです。なのですが・・・大変失礼な言い方ですが・・・意外にも午前の部もとても良かったんです!今世、死ぬ予定のある人は全員聞いた方が良いのではないかな~という内容でした。

 

昔の日本人は家で最期の時を迎えていました。家で亡くなる人の数を、病院で亡くなる人の数が上回ったのはいつのことかご存知ですか?1976年だそうです。

 

 

午前の部の聴衆は200名ほどのように見えました。ステージの長尾先生が聴衆に向かって、「自分が死ぬ時に、延命治療をしたい人は手を挙げて下さい。」と言うと、手を挙げた方はゼロでした。どうですか?皆さんは延命治療を希望されますか?

 

「日本人の9割以上は延命治療を望んでいない」これはNHKのある番組内で紹介された割合です。ところが、延命治療をされることなく旅立てる日本人はわずか数%しかいないそうです。NHKの割合が事実だとすれば、ほとんどの日本人は自分が望んでいる死に方ができていないということになります。

 

なぜ日本人が自分の望む形でこの世を旅立つことができていないのか・・・それには様々な理由があるようです。

 

 

とその理由を書く前に、「尊厳死」と「安楽死」の違いってご存知ですか?私は昨日まで知りませんでした。というか、深く考えたこともありませんでした。

 

尊厳死というのは「不治かつ末期の状態になった時に、延命治療は行わないが、痛みを止める緩和医療はしっかりと受けて、人間としての尊厳を保ちながら安らかな死を迎えること」だそうです。一方の安楽死は「終末期ではないものの、不治の病気の人を、本人の希望を受けて薬剤で死なせること」だそうです。意図的に死期を早めるのが安楽死です。

 

アメリカの一部の州、スイス、イギリスなど世界には安楽死が認められている国もありますが、日本では安楽死は認められていません。長尾先生によると、日本人でも安楽死を希望して、安楽死できる外国の施設に入る方もいらっしゃるそうです。長尾先生は安楽死には反対だそうです。と言うか、尊厳死が可能ならば安楽死は不要である、というお考えのようです。

 

長尾先生の話の中で非常に印象に残ったのが「脱水」の話でした。「脱水は神からのプレゼント」というような言葉を使われてました。どういうこと?!って思いますよね?

 

赤ちゃんは体重の8割が水分です。この割合は年齢を重ねるごとに、6割、5割と減っていき、終末期の方は4割ほどにまで下がるそうです。

 

もちろん健康な人の脱水は危険ですので、この話とは混同しないで下さいね。穏やかな最期を迎えたい人にとっては、脱水は悪ではないと長尾先生はおっしゃっていました。終末期の脱水状態では体が省エネモードになり、心臓には負担はかからず、呼吸も楽なのだそうです。水分が減っている状態ですから、浮腫や胸水、腹水に悩まされることもほとんどなく、心不全も起こらないのだそうです。脱水が苦痛を緩和してくれる自然の麻薬だと言うのです。これは驚きでした。

 

長尾クリニックでは年間1800人ほどの方を自宅で看取られるそうですが(私の記憶違いでなければ)、脱水によって「綺麗に枯れる」ことができれば、苦痛を伴うことなく穏やかな最期を迎えることができるのだそうです。

 

日本では「脱水=悪」という考え方が根強く、終末期の方に点滴をする→胸水や腹水がたまる→苦しい→胸水や腹水を抜く、酸素吸入→咳や痰が出て寝れない→鎮静剤投与、といったようなことが起きているのだそうです。「人間は枯れていく、脱水は自然なこと、自然に枯れていくから平穏に死ぬことができる」、これを受け入れることができれば、多くの場合は痛みのない平穏な最期を迎えることができるそうです。

 

「な~んだ、脱水を受け入れることさえできれば、尊厳死できるんだね!」と思いきや、そうは問屋が卸さないようです。本人がいくら「延命治療は不要。尊厳死希望」を口で言っても今の日本では叶わないそうです。

 

長尾先生は桂歌丸さんの最期を例えに出されていました。延命治療を受けないということを公言されていた歌丸師匠でしたが、結果的には最期の2か月間は人工呼吸器につながれ苦しい最期だったそうです。師匠が苦しむ姿を見て、弟子が怒ったという話もされていました。

 

では、歌丸師匠はどうしたらご本人の希望通りの最期を迎えることができたのでしょうか?

 

答えは・・・元気なうちに書いておく!です。「リビング・ウィル」と呼ばれ、要は延命処置をお断りするという意思表示をする文書です。日本尊厳死協会が用意した宣言書に署名・捺印するだけという簡単なもののようです。

 

ちなみに遺言書や終活ノート(エンディングノート)とは全くの別物だそうです。行政書士に依頼することもできるそうですが、それだど数万円はかかるのだとか。日本尊厳死協会の会員ならなんと2000円でできちゃいます!いつでも撤回もできます。会員数は全国で12万人以上で、会員さんの多くは万が一に備えて、リビング・ウィルカードをお財布などに入れて持ち歩いているのだとか。私も近々、リビング・ウィルを書こうと思っています。

 

 

 

「ほおほお、2000円でリビング・ウィル書いて、あとは脱水を受け入れれば、平穏に死ねるのね。楽勝、楽勝!」と思った方、ちょーと待って下さい!それだけでも足りないのようです。

 

リビング・ウィルを書いていたにもかかわらず、それでもなお本人の希望が叶わないケースは少なからずあるようです。それはなぜかと言うと・・・

 

家族が納得できていない、家族が延命治療をしたがる

 

というのが理由です。訴訟を恐れる病院は、亡くなる人の意志よりも家族の意志を尊重する・・・となってしまうそうです。

 

なので、元気なうちに家族で何度も何度も話し合って、意志を共有し合い・理解し合い、その内容も記録しておくというのがベストなのだそうです。

 

長尾先生は尊厳死を叶えるために3つの覚悟が大切だとおっしゃっていました。それは本人の覚悟、家族の覚悟、医師の覚悟、だそうです。どれか1つでも欠けると今の日本では尊厳死は難しいようです。

 

そう言えば、父が治らない病気で病院に入った時、延命治療について話し合う機会が何度もありました。家族での話し合いは簡単でした。と言うのも、我が家は皆が同じ「死生観」を持っていたからです。何度かブログにも書いていますが、「人間は魂の成長・向上のために何度も何度もこの地上に生まれ変わっている存在であり、肉体生命が終われば地上を去ってあの世に帰るけれど、魂は永遠である。」という死生観です。なので辛い延命治療をしてまで肉体生命を生きながらえさせるということに父も私たち家族も必要性を感じませんでした。

 

家族での意志の共有が出来ていたので、病院との共有も比較的簡単でした。胃ろうや気管切開といった延命治療は一切行わないで欲しいと入院後すぐに伝えました。それでも何度も何度も病院から確認をされましたし、承諾書も何枚も書きました。いくら意志を固めていたとしても、いざとなると気持ちが揺らぐということが多々あるからだと思います。長尾先生の言う「覚悟」とはそういうことだと思います。

 

アメリカでは4割以上の人がリビング・ウィルを書いているそうですが、日本はまだ数%にとどまっているそうです。「死について話し合うのは縁起が悪い」という風潮は昔ほどではないにしろ、いまだに日本にあると思います。死について考えないばかりに、壮絶な最期を迎えるというのは悲しいことです。人は必ず死にます。今一度、自らの死生観を深く深く考えてみる必要があるように思います。

 

文:真木