我が家の窓際にウィンド・スピナーなるものをぶら下げています。窓を開けて風が入ってくると、クルクル回るのですが、特に夏はそれをボケら~と眺めるのが好きです。今の季節は窓を開けることも少ないので、ただぶら下がっているだけで、早くクルクル回る季節にならないかな~と思いながら眺めています。
ところで、我が家のウィンド・スピナーは1枚目の画像のように、中心が「木」になっています。ただの木ではなく「生命の木」なのですが、「生命の木」って聞いたことありますか?
生命の木は世界のさまざまな神話、宗教、哲学においてみられる概念です。北欧神話の世界樹、聖書の生命の樹、仏教の娑羅樹、メソポタミアの生命の木など、世界各地・あらゆる時代・あらゆる文明に登場する不思議な木です。ちなみに画像は、
左:プロスエッダ(13世紀にアイスランドで書かれた本)に登場する生命の木を1847年に描写したもの
中央:アゼルバイジャンの宮殿に描かれた生命の木
右上:ニムルド(古代アッシリアの都、アッシリアは現在のイラク北部)の遺跡に描かれた生命の木
右下:古代ウラルトゥ(紀元前9~5世紀頃、現在のトルコあたり)の遺跡に描かれた生命の木
です。不思議に思いませんか?時代も地域も違うのに、人類の共通概念として生命の木が存在するのが。
肝心の「生命の木というのは結局のところなんなのか」という話ですが、要は・・・
人間はそれぞれがばらばらに生きているように見えて、実は全ての人間、さらに全ての動植物はつながっていて、「本来は一つ」という概念を表しているそうです。私の頭ではさっぱり理解できません😅
私たちの体に血管が張り巡らされているように、我々の目で見ることはできないのですが、この大宇宙には、「神の血管」とも言えるものが広がっており、その網目状の血管は全ての人につながっている、というのです。元なるものを「幹」、そこから枝分かれしたのが人間や動植物という存在で、元をたどれば皆同じ、いわゆる「人類皆兄弟」ということでしょうか・・・?
繰り返しになってしまいますが、こういう話が時代を越え、地域や言語の違いを越えて残っているということは、それが真実だからなのかもしれません。
「生命の木」を信じれば、嫉妬や憎しみがいかに無駄かを理解できる気がします。自分がつながっている「生命の木」に、同じようにつながっている別の「枝」を憎んだり、傷つけたり、切り落とそうとすることは、結局のところ自分を傷つけることになりますからね。
なので、私も自分だけが健康になるのではなく、同じ枝から分かれたかもしれないシャキットのお客様にももっともっと健康になって、元気いっぱいの「枝」として共に成長していきたいと思っています!ということで、今日、ご紹介するエクササイズはその名も「木を登る(climb a tree exercise)」です😊
片足を天井に向かって伸ばし、手で登っていきます!とは言え、あまり腕力に頼らず、しっかりと腹筋を使ってくださいね。腰を反らせないように気を付けますよ~。あげていない方の足が浮かないようにも意識します。
頂上まで登りつめたら(どこまで登れるかはあなた次第!)ゆっくりと下山です。地味な動きですが、画像の女性のようにきれいな形で行うのは、なかなか難しいですしキツイですよ。奥の方にいる女性は肩が上がってしまっていますね。手前の女性のように、肩は落とすようにしてください。こういう基礎的な動きとっても大切です。
「基礎」と言えば、今朝、共通テスト2日目の浪人生の息子を、車で札幌駅に送ったのですが、車内でこんな会話がありました。
息子:(予備校の)〇〇先生が、「基礎が大事。基礎ができれば東大でも受かります。」って最初の頃に言ってたわ~。
私:東大生でも基礎?!ってことは、全国のほとんどの受験生は基礎もできてないの?
息子:そうだね。「基礎イコール簡単ではない」って〇〇先生が言ってたからね。
私:なるほどね~。確かに運動も「基礎イコール簡単」ではないもんね~。ところであなたは基礎できているの?
息子:できてないよ。いってきま~す。
私:😂😂😂
こんな感じで、札幌駅に着きました。ということで、「基礎イコール簡単ではない、基礎を固めれば高みを目指せる」を心に刻んで、日々のトレーニングに励みたいと思いました・・・。
文:真木
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